坂井市の龍翔博物館で歴史講座 大湊神社に伝わる獅子頭伝説を宮司らが解説
福井県坂井市三国町の龍翔博物館で9月13日、歴史教室・シリーズ「安島王国」の第2回が開かれた。安島の大湊神社に伝わる「獅子頭の伝説」をテーマに、同神社の松村典尚宮司や龍翔博物館の笠松雅弘館長が解説を行った。当日は約60人が参加した。



飛鳥時代から戦国時代まで続いたとされる獅子頭の神事
大湊神社所蔵の「高麗伝来御獅子略縁起」や「当浦謂聞書」によると、飛鳥時代の末期にあたる文武天皇のころ、雄島に異国の敵が攻めてきたため村人の一部が獅子頭を守って白山麓に逃れたとされる。逃れた村人は住み着いた地を「嶋村(後の桑島)」と名付け、それ以降は獅子頭の祭りを白山麓と雄島(安島)とで1年交代で行うようになったと伝えられている。

祭りの際には、両村の中間にあたる九頭竜川沿いの鳴鹿の「獅子ガ岩」で獅子頭の神輿の引き渡しが行われていたとされる。この神事は江戸時代の元禄期より以前に途絶えたとされている。

古文書や地名に残る大湊神社の歴史と祭礼
松村宮司は、古文書の内容を史実として確かめる根拠はないとしつつも、現在の大湊神社に伝わる3月20日(旧暦で2月20日)の神事「おしっさま」が祭りの名残りではないかとの推察を述べた。神社に残る「三保神社 社領神輿渡御図」には「此領高三千七百餘石」と記されており、かつて広大な社領を持っていたことが示されている。

戦国時代には現在の陣ケ岡周辺を舞台に、海に向かって弓を射る「二手(ふたて)ノ矢の神射式」や社領巡行など10日間ほどにわたる神事が行われていたと考えられる。周辺には「一本松」「弓置き場」「三保神台(みほしんだい)」「二つ窯」といった神事に由来するとみられる旧字名が残っている。
白山麓との神輿渡しのルートと分村の伝承

白山麓の桑島(嶋村)は、昭和54年の手取川ダム建設で水底に沈んだことを機に村の起源を探る機運が高まった。白峰村(現白山市)の山口一男氏の寄稿によると、獅子頭は雄島から舟で海上を行き、九頭竜川をさかのぼって鳴鹿の獅子ケ岩に至り、そこから尾根伝いの道を通って白山へ運ばれたと推定されている。
桑島には奈良時代の養老年間(717~724年)に京都から来た京善藤九郎が村を拓いたという伝説もあるが、鳴鹿の対岸に「京善」(永平寺町)という地区があることから、雄島(安島)をルーツとする説との関連性も指摘されている。

渡来伝説や白山信仰の解明に向けた博物館の役割

龍翔博物館の笠松雅弘館長は、伝承の文書に登場する「ゲラ」という言葉について、獅子頭が高麗のゲラから来たとする記述や、三保明神が百済国のゲラという浦から来たとする記述を紹介した。越前市の白山地区にも百済の王女の渡来にまつわる「解雷ヶ清水(ケラガショウズ)」の伝説があることから、古代朝鮮語との関連を調査する必要性を挙げた。
笠松館長は、地域に立脚する博物館として、地元に残る伝説を単なる絵空事として扱うのではなく、大陸からの渡来伝説や白山信仰などの観点から総合的に解明していくことが重要であると述べている。
本記事は龍翔博物館の発表をもとに作成。

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