高槻市立しろあと歴史館で豊臣秀吉朱印状を初展示 令和8年10月12日まで
高槻市立しろあと歴史館で、豊臣秀吉が文禄2(1593)年の朝鮮出兵に際して発給した書状「豊臣秀吉朱印状」の初展示が行われています。展示期間は令和8年10月12日(月曜日・祝日)までとなっています。大河ドラマによる豊臣家への関心の高まりや、関連する映画の公開を機に企画されました。
平成29年に寄託された朱印状を初公開
「豊臣秀吉朱印状」は、平成29年に同館が高槻市民から寄託を受けたものです。現在、大河ドラマの影響で豊臣家への関心が高まっていることや、今年公開された映画に朱印状に記載のある高槻と縁の深い武将・郡十右衛門が登場することなどを受け、初展示されることになりました。
朝鮮出兵時の兵糧積み込みを指示
朱印状は、豊臣秀吉が文禄2(1593)年の朝鮮出兵に際し、鍋島氏や有馬氏など九州諸大名の留守居(主君の不在中を守る家臣)に宛てた文書です。
内容は船への兵糧や荷物の積み込みを指示するもので、現場の奉行を務めた人物として「郡十右衛門(こおりじゅうえもん)」の名が記されています。
郡十右衛門は豊臣家の家臣・郡宗保(むねやす)のことで、郡主馬(しゅめ)とも呼ばれました。伊丹氏の出身で茨木市郡・郡山周辺を勢力にした郡氏の養子となり、はじめは荒木村重、その後は豊臣秀吉に仕えて山崎の合戦や小田原城攻めで殊勲を上げたと伝えられています。慶長20(1615)年の大坂夏の陣では、落城する大坂城で自害するまで豊臣家に忠誠を尽くしました。子孫の一家は江戸時代に高槻藩士として活動しました。
同館の千田康治館長は、郡十右衛門の養父が高槻城主和田惟政と共に討ち死にし、子孫が高槻藩士になるなど高槻と縁の深い武将であると説明し、今回の展示を通じて十右衛門のことを知ってほしいとしています。
スポット展示「初公開 豊臣秀吉朱印状」および会場の概要は以下の通りです。
スポット展示「初公開 豊臣秀吉朱印状」
- 会期:令和8年10月12日(月曜日・祝日)まで
- 開館時間:10時から17時まで(入館は16時30分まで)
- 休館日:月曜日(10月12日は開館)
- 料金:無料
しろあと歴史館
- 住所:高槻市城内町1番7号
- 開館時間:10時から17時まで(入館は16時30分まで)
- 休館日:月曜日(祝日は開館)、祝日の翌平日、年末年始(12月28日から1月3日まで)
- 詳細URL:https://www.city.takatsuki.osaka.jp/site/history/185837.html
本記事は高槻市の発表をもとに作成しました。
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